史上最高の名遊撃手や牛若丸と呼ばれた吉田義男さん。
2025年2月3日に脳梗塞のためお亡くなりになりました。
今回の記事では、吉田義男さんの妻や娘、孫についてまとめました。
吉田義男のプロフィール
吉田義男さんのプロフィールはこちらです。
- 名前:吉田義男
- ニックネーム:よっさん
- 生年月日:1933年7月26日
- 没年月日:2025年2月3日(91歳没)
- 出身地:京都府京都市中京区
- 身長:165cm
- 体重:56kg
- 職業:元プロ野球選手、コーチ、監督、野球解説者、野球評論家、タレント、甲子園歴史館の運営会議顧問
吉田義男と妻の馴れ初めは?
吉田義男さんと妻は、山城高校の応援団長だった高田昌彦さんの紹介で知り合ったそうです。
高田昌彦さんは、吉田義男さんの一つ上の先輩でした。
この時妻は、まだ高校2年生だったそうですよ。
妻は野球ファン?
妻は、東京六大学野球のファンだったそうです。
そのため、学生時代に野球選手とのつながりがあったのかもしれませんね。
この時は、まさか自分が将来プロ野球選手と結婚するとは思っていなかったそうですよ。
妻の名前は?
吉田義男さんの妻の名前は、
篤子
さんです。
妻の顔画像は?
妻の顔画像はこちらです。
細身ですらっとした美人な方ですよね。
結婚時期は?
吉田義男さんと妻は、2957年12月に結婚しました。
この時は、吉田義男さんが24歳で妻の篤子さんは21歳でした。
結婚式や披露宴はどこで行った?
2人の結婚式は平安神宮で行われました。
披露宴は、京都の京都ホテルで行ったようです。
この時には、多くの阪神ナインや知人が参列をしています。
吉田義男の妻はお嬢様育ちだった?
吉田義男さんの妻は、お嬢様育ちだったそうです。
- 東京生まれで東京育ち
- 巣鴨学園の校長の長女だった
このように、生粋の東京育ちで校長の娘だったということもあり大切に育てられたのでしょう。
関西弁に馴染むのが大変だった
妻の篤子さんは、関西弁に馴染むのが大変だっということで、東京の関西の文化の違いにも苦労したのだとか。
夫を献身的に支え続けた
妻の篤子さんは、吉田義男さんの不安定な収入に対しても口を言わずに支え続けたそうです。
吉田義男さんの著書の「牛若丸の履歴書」では、妻に対して以下のように語っています。
食生活が安定したのは、なによりもありがたかった。
方を痛めた時には、こんにゃくを温めて患部に当てたり、毛糸の肩当てを作ってくれたりした。
このように、吉田義男さんの体調を気遣い、献身的に支えていたことがわかりますね。
ストレスから胃潰瘍を患う
吉田義男さんが阪神の監督になってからは、試合における吉田義男さんの采配について、ファンからしょっちゅう電話がかかってきたそうです。
なんであそこでピッチャー代えるんや
など、ファンからの怒りの電話を吉田義男さんが不在の際には全て妻が対応していたのだとか。
このことから胃潰瘍を患っています。
吉田義男と妻には2人の娘がいる
吉田義男さんと妻には2人の娘さんがいるそうです。
娘の名前や顔画像は?
娘さんの顔画像は公表されておりませんが、名前は判明しています。
- 長女:智子さん
- 次女:範子さん
智子さんは東京住まいで、範子さんは横浜に住んでいるそうですよ。
孫は4人!
2人の娘さんにはそれぞれ男の子が2人いるそうで、4人の孫がいたことも判明しています。
孫の顔画像や名前は公表されておりません。
幼少期からとっても可愛がっていたのではないでしょうか。
孫も野球に関心を持って、野球をやっているかもしれませんね。
まとめ
今回の記事では、吉田義男さんの妻や娘、孫についてまとめました。
吉田義男さんのご冥福をお祈りいたします。